【花札の由来】12月はなぜ「桐に鳳凰」?鳳凰伝承(梧桐)と四方拝でわかる”年の改まり”の光札

12月の札「桐に鳳凰」は、
年が切り替わる瞬間“祈りと瑞兆”
ひとまとめにした札です。

「12月が“キリ(区切り)”と呼ばれる理由」や、
天正カルタのキリ札・言葉の由来の整理は、別記事にまとめています。

音のキリ→花の桐へ派生したと仮定して、「桐」の意味の話を進めていきます。

ここでは “桐に鳳凰”という絵柄が何を象徴しているのかに絞って進めます。

12月=キリ(区切り)の話はこちら

目次

「桐に鳳凰」は、”瑞兆の鳥”と”その舞台の木”を一枚に圧縮した札

見どころは大きく2つ。

鳳凰
徳のある帝が治める平和な世に現れる、と語られる瑞鳥。
=「めでたい兆し」そのもの


(この札では桐/伝承としては梧桐)
鳳凰は「梧桐にあらざれば栖まず」とされ、
“鳳凰が降りる木”としてセットで語られる。
=瑞兆を受け止める「舞台(しるしの木)」

ここから先は、
「桐が12月に咲くかどうか」ではなく、
鳳凰×梧桐(桐)という組み合わせが、
年の改まりや宮廷世界のイメージとどう結びつくかを拾っていきます。

まず前提:12か月対応は、最初から決まっていたわけじゃない。

まず前提として、
「花札の12か月対応」は最初から固定で決まっていたわけではありません。

 

いま一般的な「花札=1月〜12月」の読み方は、
十二紋標(12種類の絵柄)を一年の12か月に当てはめる習慣が広まったのは明治年間、と
日本かるた文化館(研究・展示機関)の解説で説明されています。
参考: 日本かるた文化館

季節や行事で「桐に鳳凰」を見ると四方拝(しほうはい)に繋がる?

なので「12月の札が、どんな意図で生まれたのか」を考えるときは、
月名に縛って断定するよりも、
絵柄そのものを季節行事(その時期の“人の動き”)として読むほうが、
真意に近づきやすいです。

     

そして、桐に鳳凰は光札です。
光札を見ていくと、「正月」「花見」「月見」「時雨」――
植物の季節感だけでなく、行事・イベント・人の動きを強く感じさせる図柄が多い。



そこでここでは、
桐に鳳凰も「冬のどこかで起きる“イベント”を象徴しているのでは?」と仮定して、
冬にある鳳凰(瑞兆)に関わる行事を探すことにしました。

そこで見つかったのが、四方拝(しほうはい)という行事です。


元旦の朝にある“年のスイッチ”――四方拝って何?

四方拝(しほうはい)
1月1日の早朝に行われる宮中行事です。

天皇が神嘉殿(しんかでん)南庭で
伊勢の神宮・山陵・四方の神々を遥拝する、
その年いちばん最初の行事です。
参考: 宮内庁

言い方を変えると、
ただ「0:00を迎えました!」ではなく、

年が切り替わった直後に、
まず“世界の四方”へあいさつして祈る
——そんな“年の起動ボタン”みたいな儀式です。


どうして「年の最初の祈り」に鳳凰が似合うのか(宮廷の文脈)

鳳凰は、ただの「めでたい鳥」ではなく、
徳のある帝が治める平和な世に現れる瑞鳥として語られることが多い存在です。

だから、天皇が年の始まりに祈る四方拝と並べると、
「祈り」→「瑞兆」という読みが、宮廷的な感覚になると考えています。

さらに四方拝そのものも、
宮中祭祀として整えられていく過程(平安初期あたり)で
位置づけられてきた――という説明があります。
参考:天皇の奉仕される宮中の祭祀(一)概要と年始・毎旬毎朝の拝礼 | 一般財団法人 京都宮廷文化研究所

そして同じく、
天皇の象徴装束として知られる 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)も、
天皇の地位に関わる重要な場面で用いられる装束として語られます。
その文様には、桐や鳳凰(桐竹鳳凰)が描かれていることでも知られます。

ここまでをセットで見ると、

  • 平安初期に「年の最初の祈り(四方拝)」が、宮中の年始行事として形になっていき
  • それと並行して、「天皇の象徴(装束・意匠)」も年始の場を含む“公式の舞台”で役割を持っていく

……その結果として、年の最初の場”に桐・鳳凰の意匠が出てくるのは偶然ではなさそう
という言い方ができます。

「松に鶴」と役割がかぶる? だから“年末年始の幅”で見る

ここで、ひとつ引っかかるところがあります。

正月の札だとお伝えした「松に鶴」と、
元旦早朝の宮中行事である四方拝(しほうはい)。

どちらも“年のはじまり”を感じさせるのに、
同じ正月の札を重ねているのはなぜ?という点です。
宮内庁

そこで、年の入口側にある行事として、
旧暦12月13日ごろの 正月事始め(煤払い・松迎え) にも触れます。

正月事始め(煤払い・松迎え)12月13日=事始め

12月13日は、
正月準備のはじまり(事始め)として
語られることが多い日です。

煤払い、松迎えなど、
年神さまを迎える準備のスタートだ、と説明されています。  神社本庁

12月中旬:
正月準備の入口(事始め・迎え

元旦早朝:
年の祈りの中心(四方拝

…という“幅”として年末年始を見ると、
「松」と「桐」の役割が、季節の写生よりも行事の流れでつながります。神社本庁

※「松と桐を入れ替える!」と断定するより、年末年始を照らす2枚として読むことが安全です。

四方拝は「星」にも手を伸ばす(属星・五星の話)

四方拝は、単なる「四方向」だけの儀礼ではありません。

コトバンクでは、『年中行事秘抄』が引く「宇多天皇御記」寛平2年(890年)正月の記事として、
次の趣旨が紹介されています。

「朔四方拝云々、向乾方、拝后土及五星
参照:コトバンク「宇多天皇御記」の寛平二年(八九〇)正月の記事

要するに四方拝は、四方向だけでなく、
后土(大地の神)や五星(天体)にも拝礼が及ぶ――という古い層がある、ということです。

辞典的な整理では、
まず 属星(運命をつかさどる星)を拝するところから始まる、という説明があります。

ここが重要で、四方拝は単なる「四方向」だけでなく、
古い層では天体(星)ともつながって語られてきた行事なんです。

じゃあ「桐に鳳凰」は“星の光”なの?――光札の古いイメージ

花札の光札は、いまは
松・桜・芒・柳・桐
の5枚です。

一方で、古い説明の層をたどると、
四光が「日・月・雷光・星」という
“実際に光る天文現象”を指していた、という話もあります。
参照: 日本かるた文化館

この流れを借りると、読み筋が生まれます。

松に鶴=日(太陽っぽい)
芒に月=月(そのまま)
桐に鳳凰=星(星辰・星の光っぽい)

もちろんこれは「確定の正解」ではなく読みの提案ですが、
四方拝(属星・五星)と並べると、桐が“年の始まりの天”に手を伸ばす札として映えます。
参照:コトバンク

鳳凰伝承(鳳凰が梧桐に宿る)って、どういう話?

鳳凰(ほうおう)は、
東アジアで「理想の君主の出現」や
「天下泰平」を告げる瑞鳥(めでたい鳥)として語られてきました。
参考:鳳凰 – Wikipedia

そしてこの鳳凰には、わりと有名な“こだわり設定”があります。

鳳凰は梧桐にあらざれば栖まず、
竹実にあらざれば食わず

鳳凰 – Wikipedia

ここでいう梧桐は、
日本でよく思い浮かべる「桐(キリ)」というより、
中国名で梧桐と呼ばれる アオギリ(青桐)側のイメージに寄っています。

つまり「鳳凰が梧桐に宿る」というのは、
鳳凰が降りる=世が整っている証拠
梧桐は、鳳凰を迎えるに足る“めでたい木”
という、象徴のセットです。

だから花札の「桐に鳳凰」も、
「桐が冬に咲くかどうか」より先に、
“鳳凰が降りる木=瑞兆の舞台”として読むほうが、札の意図に近づきます。

鳳凰が降りる木は「梧桐(ごとう)」――“桐”の正体がズレてる話

ここで札の絵に戻ります。

鳳凰が止まる木としての「梧桐(ゴトウ)」は、
日本でいう桐(キリ)ではなく、青桐(アオギリ)だと説明されています。
参考:宮内庁

つまり「桐に鳳凰」は、
植物図鑑としての“桐”を見るとズレるけど、
鳳凰伝承(鳳凰が梧桐に宿る)として見ると、分かりやすいです。
参考: 宮内庁

桐(キリ)と梧桐(アオギリ)は、いつから混同された?

実はこのズレ、
「近代になってからの勘違い」ではなく、平安時代頃から混線が見えます。

たとえば清少納言『枕草子』第37段「木の花は」では、
紫に咲く“きりの木の花”をほめた流れで、

桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしき。
唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり。
参考:枕草子「木の花は」原文と現代語訳・解説・問題|高校古典 | 四季の美

言っていることはシンプルで、
紫に咲く桐の花は趣がある。
しかも唐土の“立派な名を持つ鳥”が、この木を選んで住むというのは格別だ――という話です。

ここがポイントで、紫の花の時点で、話題になっているのは
鳳凰の木として語られる「梧桐(=アオギリ側)」ではなく、
日本でいう「桐(キリ)」のほうです。
(キリは淡紫色の花、アオギリは淡い黄〜クリーム色の小花)

つまり、「紫の桐(=キリ)」を語りながら、鳳凰伝承(梧桐の鳥)っぽいイメージを重ねている
この段階で、桐(キリ)と梧桐(アオギリ側)が“混ざって受け取られている”痕跡が見えます。

実際、跡見群芳譜でも
「日本でキリに鳳凰を配するのは本来は誤りだが、すでに『枕草子』に誤解が見られる」
という趣旨で触れられています。
参考:跡見群芳譜(樹木譜 アオギリ) アオギリ(梧桐)

宮中の衣にも「桐・鳳凰」がいる(黄櫨染御袍の文様)

さらに、宮内庁の資料では、
天皇の位袍として知られる黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に、
桐・竹・鳳凰(桐竹鳳凰)の文様があることにも触れられています。
参考:宮内庁

つまり「桐+鳳凰」は、
年中行事(四方拝)を含む宮中世界のイメージとも相性が良い組み合わせです。

ここまで積むと、
桐に鳳凰はこう読めます。

  • 年の始まりに祈る(四方拝)
  • 星(属星・五星)にも手を伸ばす
  • 鳳凰と梧桐の瑞兆で“めでたさ”を描く
  • 宮中の意匠とも繋がる

だから「桐に鳳凰」は、
季節の花札というより
年の切り替えの札として最後に置かれるのが似合います。

ちなみに桐札の素札(カス)には、1枚だけ黄色く塗りが入る型があります。
これは古い図柄の変遷や、特定の遊び方で「目印つきの札」として扱われた名残だと説明されています。
(一)「八八花札」の図像の確定 – 日本かるた文化館

まとめ:桐に鳳凰は「年の改まり」を照らす光札

  • 12か月対応は明治以降に広まり、古い札には違いもある
  • 四方拝は元旦早朝の“年のスイッチ”で、星(属星・五星)とも結びついて語られる
  • 鳳凰が宿る木は梧桐(青桐)で、宮中の意匠にも桐竹鳳凰がある(出典:宮内庁)
  • 年末準備は12/13の事始めから始まる(出典:神社本庁)

…と重ねると、
「桐に鳳凰」は年末から元旦にかけての“改まり”を象徴する、
最後にふさわしい光札として読めます。

Q&A(よくある質問)

花札の12月「桐に鳳凰」は何を意味する?

年が切り替わる瞬間の「祈り」と「瑞兆(めでたいしるし)」をひとまとめにした札として読むと、筋が通ります。
植物の季節感というより、年末年始の“行事の流れ”を描いた光札、という立て方です。

12月なのに桐なのはなぜ?(桐って夏に咲くよね)

ここは「季節の植物図鑑」として読むとズレます。
ただ、花札の絵柄は 行事・人の動きを含めて読むと納得しやすく、桐に鳳凰も年末年始の象徴として立ちます。

※「12月=キリ(区切り)」の由来・言葉の話は別記事へ:

12月=キリ(区切り)の話はこちら

「桐に鳳凰」は本当はアオギリ(梧桐)なの?

鳳凰伝承で語られる「梧桐(ごとう)」は、日本語の感覚だとアオギリ側に寄る説明が多いです。
花札の「桐に鳳凰」は、植物の厳密さよりも「鳳凰が降りる木=瑞兆の舞台」という象徴で読むのがポイントになります。

鳳凰伝承の「鳳凰は梧桐にあらざれば栖まず」って何?

鳳凰は「世が整っている時に現れる瑞鳥」とされ、
住む木(梧桐)や食べ物(竹実)まで選ぶという“こだわり設定”がセットで語られます。
だから「桐(梧桐)+鳳凰」は、めでたさの象徴として強い組み合わせになります。

じゃあ、なんで「梧桐(アオギリ)」が「桐(キリ)」になったの?

超ざっくり言うと、「桐」という字が複数の木のイメージをまたいで受け取られやすいのが土台にあります。
さらに日本側の古典でも、早い時期から混線の“痕跡”が見えます

桐と梧桐の混同って、いつからあるの?

少なくとも平安期には「混ざって受け取られている」気配が見えます。
『枕草子』第37段「木の花は」で、紫に咲く桐の花をほめた流れのまま、唐土の“ことごとしき名つきたる鳥”(鳳凰を連想させる鳥)がその木を選ぶ、という趣旨が続くためです。

「松に鶴」と役割が被ってない?(どっちも正月っぽい)

被って見えるのは自然です。
でも年末年始を「幅」で見ると、
12月中旬(事始め)→ 元旦早朝(四方拝)の流れができて、
松と桐が“入口と起動”みたいに役割分担して見えてきます。

四方拝(しほうはい)って何? 花札とどう関係するの?

四方拝は、元旦早朝に行われる宮中行事で、年の最初に四方を拝して祈る儀式です。
この記事ではこれを「年のスイッチ」と捉え、
桐に鳳凰を“年の改まり”の札として読む軸にしています。

正月事始め(12月13日)って何?

煤払い・松迎えなど、正月準備を始める節目として語られる日です。
この記事では、年末側の入口を「事始め」、年明け側の中心を「四方拝」と置くことで、
桐に鳳凰を年末年始の流れの中に置いています。

「桐に鳳凰」が“星”っぽいってどういうこと?

四方拝は古い層で星(属星・五星)に触れる説明があり、
それと合わせて「光札=天体の光(太陽・月・星…)」の読み筋を提案しています。
※ここは“確定の正解”ではなく、象徴としての読みの一つです。

花札の月配当(1月〜12月)って昔から固定なの?

固定ではなかった、という説明があります。
明治期に「十二紋標を12か月に当てはめる習慣」が広まったという整理や、古い札の例外(配当の違い)が触れられることがあります。
その前提があると、12月の桐も「月名」より「絵柄の意味」で読めるようになります。

「桐に鳳凰」は皇室の文様(桐竹鳳凰)とも関係あるの?

関係づけて読むと、イメージが強くなります。
宮中の世界では桐・鳳凰が意匠として登場し、
この記事の軸である「祈りと瑞兆」に自然に接続します。

結局この札は、冬の植物?それとも行事の札?

この記事の結論は 行事(年末年始)を描いた札として読むです。
冬の植物として無理に合わせるより、
“年の切り替え”というイベントに置くと、鳳凰も桐も活きてきます。

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この記事を書いた人

今はゲームシナリオを書いている者です。最近社内DXアプリ開発も楽しい。
花札がとても好き。アナログゲームを嗜む脚本家、小説家、人狼もマダミスも好き。

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