花札は、12か月それぞれに花や草木が割り当てられ、各月4枚ずつで季節を表す遊び札です。
5月札の「菖蒲に八橋」は、
初夏が梅雨の気配を纏いながら“夏本番”へ寄っていく合図を
一枚の水辺の風景に圧縮した札。
4月の札が「春の終わりと初夏の合図」なら、5月はそこからもう一歩進んで、
初夏が“湿気と水気”を連れて、夏へ寄っていく札です。
旧暦の感覚だと、5月(皐月)はいまの6月ごろに寄りやすく、季節の輪郭が「水」に傾きます。
5月の札は「梅雨の入口=水の季節」を一枚に圧縮している

5月札の核は、だいたい次の2つです。
5月札の核は、だいたい次の2つです。
菖蒲(通称)/杜若(図柄の読みとしての補助線)
水辺に立つ背の高い葉と、初夏の湿気を含んだ空気。
春のやわらかさが抜けて、
季節が“水っぽく”濃くなっていく気配を背負うモチーフ。
八橋
(やつはし)
水が分かれる沢に架かる橋。
「水に遮られて、渡る」という構図そのものが、
5月の景色を“水の風景”として決定づける装置になる。
※図柄の「直接の起源(これが元ネタ!)」は断定できない部分があるため、本記事では“資料で確認できる意味(象徴)”を土台に、自然な読みを提示します。
皐月(旧暦5月)
五月雨の季節(梅雨の入口〜梅雨の雨)
水無月(旧暦6月)
田に水を引く月
「梅雨は水無月では?」と言われないために:旧暦のズレと「五月雨」

現代の感覚だと「梅雨=6月」なので、
「梅雨なら水無月(6月)じゃない?」と思う人も多いかもしれません。
ここで出てくる和風月名(皐月・水無月)は 旧暦(太陰太陽暦)の季節感でできています。
旧暦の月は、いまの季節感と だいたい1〜2か月ズレるのが前提です。

このズレを踏まえると、梅雨に当たる長雨は 旧暦では「5月ごろ」に置かれやすく、
その雨を指す言葉として 「五月雨(さみだれ)=旧暦5月の長雨(梅雨の雨)」が説明されています。
参考:ウェザーニュース「いくつ知っていますか?趣深い雨の言葉」 「暦生活:五月雨」
一方で水無月については、
国立国会図書館の暦解説でも 「田に水を引く月」=“水の月”という説明が整理されています。
参考:日本の暦「和風月名」
ここで大事なのは、梅雨そのものを“6月固定”で見るのではなく、旧暦の季節感で「五月雨」の側から読むこと。
その上で5月札を見ると、沢と八橋の水景がぐっと噛み合います。
皐月は「早苗を植える月」=水が入る月:だから5月札は水景になる

和風月名の説明では、皐月は 早苗(さなえ)を植える月とされます。
田に水を入れ、苗を植える。
空からは五月雨(梅雨の雨)が降り、地面は水を抱えはじめる。
この「上も下も水になる」感じが、皐月の空気です。
だから5月札の絵柄が、花だけではなく
沢(水のある場所)+橋(渡る構図)
なのは、季節の置き方として自然です。
八橋は「水が分かれる場所」だから、旅の心が立ち上がる

八橋(やつはし)は、ただの橋ではなく、まず 水の形が主役です。
『伊勢物語』九段「東下り」では主人公たちが 三河国の八橋に至り、
そこが八橋と呼ばれる理由として
「水行く河が蜘蛛手のように分かれているので、橋を八つ渡すからだ」と説明されます。
さらに一行は、沢のほとりの木陰に下りて休み、乾飯を食べる。
その沢に、かきつばたが美しく咲いている――と続きます。
この流れが強いのは、八橋が「観光名所」ではなく、
“旅の途中で、足が止まる水辺”として描かれているところです。
水が分かれて、道が折れて、橋を渡す。
それだけで、風景は「移動」と「旅情」を含みます。
だから花札の5月札は、花だけを描いているようで、実は “渡った先の景色”になっている。
この“ひと手間”が、皐月の水景としての温度を上げます。
読み方が二つに分かれる5月の花:端午の菖蒲/伊勢物語の杜若

5月札はサイト内では「菖蒲に八橋」で統一して呼びます。
ただ、この札の“花”は、読み方が二つに分かれやすい札でもあります。
ひとつは、
5月=端午の節句の季節感から、
菖蒲(菖蒲湯・邪気祓い)へ寄せて読む流れ。
もうひとつは、
『伊勢物語』の八橋段(東下り)で、
沢に咲く花として語られる 杜若(かきつばた)へ寄せて読む流れです。
混線しやすいところなので、本記事では
「呼び名=菖蒲に八橋」で統一しつつ、
本文では 「端午側の読み」と「伊勢物語側の読み」を、順番に補助線として置いていきます。
※補足:筆者が「菖蒲(あやめ)」呼びなのは、花札の師がそう呼んでいた流れです。深い意味はありません(どちらかというと、普段はネギ呼びしています)
在原業平の「かきつばた」──八橋で“旅の心”が立ち上がる

『伊勢物語』九段「東下り」では、旅の一行が三河国の「八橋」に至り、
沢のほとりに美しく咲く花を見て、ある人がこう促します。
「かきつばたという五文字を句の上に据えて、旅の心を詠め。」
その流れで詠まれるのが、在原業平の折り句の歌です。
各句の頭を拾うと「か・き・つ・は・た」=かきつばた。
歌の内容も、ちゃんと旅にかかっています。
意味はざっくり言えば、「着慣れた衣のように長年慣れ親しんだ妻が都にいるからこそ、はるばる来た旅がしみじみ身にしみる」というもの。
だからこの場面では、花が“ただ咲いているだけ”では終わりません。
八橋の水辺で見た花に、旅の疲れや恋しさが重なって、花そのものに“旅の影”が浮かぶようになる。
5月札が「花札」というより“風景札”っぽく見えるのは、この構造と相性がいいからです。
端午の節句と菖蒲湯──皐月は“高温多湿の不調”が出やすい季節

端午の節句は、(もともと旧暦で)5月5日に行われる節句です。
「端午」は本来、月の初めの“午(うま)の日”を指した言葉で、のちに5月5日に定着していったと説明されます。
端午の節句(節供)は、5月5日の行事です。
国立国会図書館の解説では、
「端午」は本来、月の初めの“午(うま)の日”を指していた言葉が、のちに端午の節句(5月の行事)として扱われるようになった、と説明されています。
この時期は高温多湿で病が流行しやすかったため、解毒作用のある菖蒲を薬草として摘んだり、吊るしたりしたとされています。
さらに、葉を束ねて入れる菖蒲湯は香りがよく、打ち身・腰痛・肩こりに効くとされ、菖蒲の葉を刻んで酒に入れる菖蒲酒も、端午と関わりの深い習俗として紹介されています。
菖蒲湯は、菖蒲を立てて入浴し、邪気を祓う風習として定着した――という流れがまとめられています。
つまり端午は、「夏が来る!」というより少し手前の、
“湿気の季節に向けて、体を整える日”として読むことができます。
菖蒲が「ねぎ」って呼ばれるのはなぜ?(花札の俗称)
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5月札は地域によって「ねぎ」と呼ばれることがあります。
見た目の印象(葉の形)から生まれた呼び名、と考えると納得しやすい。
そして花札の解説PDF『新しい花札入門』には、古い言い回しとして
「何もなければネギでも捨てろ(5月札をネギと呼んだらしい)」
が、はっきり記載されています。
Q&A
- 花札の5月札はどんな季節の札?(意味)
-
4月が「春の終わりと初夏の合図」なら、5月はそこからもう一歩進んで、初夏が“水気(五月雨)”を帯びて夏へ寄っていく気配を表す札として読むと自然です。
- 梅雨なら水無月(6月)じゃないの?
-
和風月名は旧暦の季節感で、現代の暦と1〜2か月ズレます。旧暦の「五月雨(さみだれ)」は旧暦5月の長雨で、梅雨の雨として説明されます。
- 「菖蒲に八橋」は何が描かれてる?
-
水の流れが分かれる沢辺に、橋(八橋)と、水辺の花が描かれている――という水景の札として読むのが基本です。八橋の説明は伊勢物語でも「水が蜘蛛手のように分かれるから橋を八つ渡す」と語られます。
- 「菖蒲に八橋」なのに、杜若(かきつばた)って聞いたけど?
-
呼び名としては「菖蒲に八橋」が一般的ですが、札元(大石天狗堂)は「杜若に八つ橋」として説明し、水辺の花としての整合などを挙げています。
- 八橋(やつはし)って何?由来は?
-
『伊勢物語』九段「東下り」では、水が蜘蛛の脚のように八方へ分かれ、橋を八つ渡すので「八橋」と呼ぶ、と説明されています。
- 在原業平の「かきつばた」の歌(折り句)ってどれ?
-
『伊勢物語』の八橋段で詠まれる「からころも…」の和歌で、各句の頭を拾うと「か・き・つ・は・た」=かきつばたになる折り句として紹介されています。
- 端午の節供はなぜ菖蒲?菖蒲湯はどうして?
-
国立国会図書館の解説では、この時期は高温多湿で病が流行しやすかったため、菖蒲を薬草として用いたり、菖蒲湯・菖蒲酒で邪気を祓う習俗が定着した、と説明されています。
- 花札の5月札が「ねぎ」って呼ばれるのは本当?
-
解説PDF『新しい花札入門』に「何もなければネギでも捨てろ(5月札をネギと呼んだらしい)」と記載があります。
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