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死の画家が、色彩の魔法を覚えるまで

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ 。ドイツの画家だ。フリードリヒの描く、寂しくドラマティックな世界観、廃退的な空気の絵画は、今もなお、多くの人の心に深く灯る。

フリードリヒが描くのは、「」と「自然

そして、大切な人を亡くした詩人ゲーテは、この「死」を悼む独特の感性を持つ画家、フリードリヒと出逢うことになるのだ。

目次

1.彼の世界には、死が多い。 2.フリードリヒを見出した詩人 3.フリードリヒとゲーテの出会い 4.海、悲哀と敬意の情景 5.灰色の雲は、極彩色で繋がる 6.ゲーテとの別れ、孤独との再会 7.「彼の死」は、彼の世界を彩った

彼の世界には、死が多い。

彼の世界には、死が近かった。

  • 

彼が幼い頃、氷の川で出来たスケートリンクで弟と遊んでいた。その時、その氷が割れてしまい、フリードリヒは溺れてしまった。

弟は慌てて彼を助け出したが、今度はその弟が川に溺れて死んでしまったのだ

氷の海

フリードリヒは自分のせいで弟が身代わりになって死んでしまったことについて、ずっと悩み苦しみ、自分を責めた。

いっそ自殺してしまおうと思ったこともある。更には、母や姉たちの死も重なって起こっている。このように、彼の世界には「死」が取り巻いているのだ。

人が存在しない世界

また人を描く時も、その表情が描かれることはない。背を向いていたり、シルエットのように小さかったりしている。

そこにあるのは、希望、絶望。その全てを含蓄している自然という世界のみだ。

フリードリヒの「死」だが、様々な廃墟や墓地を描いている。廃墟と墓地コレクションのスライドショーを載せておこう。

そして、フリードリヒの絵は、誰かを亡くした人など、悲しい気分である時にそっと寄り添うのだ。

フリードリヒを見出した詩人

ゲーテが、フリードリヒを見つけた年は、ゲーテの同友であるシラーが亡くなった年だった。

「自分の存在の半分を 失った」というほどに、ゲーテは、シラーの死を酷く悲しんでいたという。

ヨハン・ヴォングガング・フォン・ゲーテ

――「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」を描いた詩人。今でも知らない人はいない、孤独や悩みなどを描くことに長けた悲哀の詩人である。

フリードリヒとゲーテの出会い

ゲーテが審査委員を務める、ワイマールの美術展にて

彼が数多くの作品を応募した1点が「日没の巡礼」だ

  • 

巡礼者が列を成して、十字架に向かうという宗教色の強い作品だ。

更に言えば、このコンクルールのお題は「ヘラクレスの偉業」だったという。全くお題に添えた作品ではない。

しかし、ゲーテはこの作品を特賞に選んだ。

友人を失ったゲーテの心に、死を描き、死を悼む彼の巡礼の絵が響いたのかも知れない

ワイマール芸術愛好会でも、彼独自の世界観と技術を『イェーナー一般文学新聞』上で絶賛した。

これに対して、フリードリヒは喜びの言葉をゲーテに送り、親交が始まったと言われている。

海、悲哀と敬意の情景

フリードリヒの作品は海が多い。

これは、ドイツのグライスヴァルトに帰郷して、リューゲン島を描く機会があったからだ。

この海というテーマは彼の故郷を意味しており、大きな意味がある。そして、彼が故郷で覚えた寂しさと孤独の記憶が宿っている場所

彼にとって、海というのは寂しさや情景の象徴なのかもしれない、年表などを見ると彼は頻繁にリューゲンへ旅行に行っていることが分かる。

問題作「海辺の僧侶」 これのモチーフもリューゲン島である。

ほとんどがバルト海と、白い砂浜で「題名の僧侶が何処にいるのか分からない」という大胆な構図は多くの人に大きな衝撃を与えさせた。

ゲーテは日記で、この作品をこのように称賛している。

「フリードリヒの許へ。この驚嘆すべき風景!

霧の教会墓地、果てしない海」

べた褒めである。しかし、民衆なこの前衛的な絵を見て、不安になったという。劇作家のクライストは民衆を代弁する。「この世でこの状態ほど、かなしく居心地の悪いものはないだろう」

灰色の雲は、極彩色で繋がる

ワイマールの城に飾られていた、虹のある風景。

これは、フリードリヒが、

ゲーテの『羊飼いの嘆きの歌』をモデルに作ったと言われている。

山の高みから
杖にもたれて
ぼくは何度
谷間を見おろしたことだろう
番犬にまかせた
のむれのあとから
ひとりぼくは山をおりた
ぼんやりと重たい足どりで
牧場は一面
きれいな花が咲きみだれていた
誰におくるとも知らず
ぼくは花を摘んだ
ぼくは木かげ
しぐれを避けた
むこうの家の戸がしまっている
みんなはかない夢だったのだ
家のうしろの空
きれいな虹が彩っている
だがあの人はもういない
遠くどこかへ行ってしまった
ひろい世界へ去ってしまった
たぶん海の彼方かもしれぬ
羊たちよ 黙ってゆけ
ぼくは悲しくてならぬのだ「ゲーテ全集 第1巻」 ひつじNews様翻訳引用

共通点の部分は太字に変更した。

この作品はゲーテの寂しさを残しながらも、フリードリヒの寂しさをも描いている。

ゲーテの淋しさは人や感情などの内面に由来するものが多く、フリードリヒの寂しさは環境や自然など外面に由来する。

フリードリヒにとって、なくなった人が眠っているのが自然である。彼にとって、寂しさの隣には故郷の面影、海、雲海と言う世界が何処か息づいている様に感じる。

ゲーテとの別れ、孤独との再会

仲違いの発端を端的に言えば、

ゲーテ「色々な雲の種類を描いて欲しい」

フリードリヒ「ぜったいに、いやだ」

ということである。

まず、ゲーテの言い分からだ。

ゲーテは色彩論という有名な本を出版している。

彼は「色は無限ではある、しかしルールはある」という考えであり、色が自由であることは否定していない。そして、ルールを理解すれば、魔術師の様に多種多様な色を操れる

そして、だからこそ、

自然を感情のままに自由に描いたフリードリヒに

自由で無限な魔法」を習得してもらいたかったのだ。

そして、その研究結果を自分に伝えて欲しかった。

もしかしたら、研究よりも彼の成長を優先していたのかも知れない。

一方、フリードリヒだ。

フリードリヒは、小さい頃に弟を「自然災害」で亡くしてしまっている。また、 ルートヴィヒ・コーゼガルテンという詩人の「自然は、神性の表出である」という言葉に大きな影響を受けている。

彼にとって、雲や自然というものは神そのものなのだ。

畏怖すべき存在である。

雲を形にはめて描くことは彼にとって、

信仰を曲げることで、心臓を潰すような行為であった。

お互いにこだわりがあり、どうしても譲れない。互いに、どうして分かってくれないのかとさえ思ってしまう。

ゲーテの必死の説得にも、フリードリヒは首を縦に振らなかった。

とうとう、ゲーテは悲しみ、怒り、フリードリヒの絵を壊した。

その後、ゲーテがフリードリヒについて伝えた言葉がある。

この芸術家が真の色彩効果や快い光の効果そして自然の姿を素晴らしく表現するのを妨げているのは一体何であろうか。まさしく精神的に重要なものと感性に訴えるものとの巧みな合一の中にこそ真の芸術が勝利を収めるというものだ

「色彩のルールや技術は車輪の両輪のように必要なものなのだ。自然の信仰心から自由に描く心と、色彩効果や光の描き方が合わせ持っていれば、貴方は真の芸術家になりえると言うのに。彼がそれを拒む要因は何だと言うのだろう。」

フリードリヒの絵を想うからこその、ゲーテの本音が聞こえてくるような言葉だった。

「彼の死」は、彼の世界を彩った

彼の一番の理解者である彼が遠ざかったことによって、人々は彼の絵画を「異端」だと批判した。また、ゲーテは一人になってしまった。

そして、宗教画の様に喜怒哀楽のない自然を描き続けていた彼は、

色彩と光を纏う表情豊かな自然を描くようになった。

それは、ゲーテがフリードリヒに渇望していたこと、そのものだった。

そして、ゲーテが亡くなり、

遺言により「ファウスト」が出版された一年後に描いた作品が『大狩猟場』である。

  • 

温かな光であるのに、寂しさも神々しさも存在している。自然の畏怖を、色彩からも描いた晩年の大作だ。

フリードリヒの周りには死が溢れていて、それを表現したら周りに批難された。しかし、ゲーテは彼の才能を高く評価し、支えた。死や自然の画家に、色彩や光の大切さを訴え続けたのも彼だ。

二度と会うことがなく、亡くなってしまったゲーテ。

「死」を描く彼が、ゲーテの「死」によって温かい彩りと光を手に入れたのだ

彼の死は、「彼の死」により完成した。

その世界を畏怖を覚える様な、 神の画へと変革させたのは、

ゲーテの色彩の魔法があってこそだろう

参考論文、資料  

風景画家フリードリヒ  ―ゲーテとの邂逅と別離― 木村和実

(ゲーテに関する記述は、ほぼ論文を参考にしております。素敵な内容ですので、ぜひご覧いただけますとうれしいです)

C.D.フリードリヒ―“画家のアトリエからの眺め” 視覚と思考の近代 

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